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「排出時点」、「排出者」がすり替わる その1

BUN 環境課題研修事務所
長岡文明 氏

このシリーズは、廃棄物処理法の条文に明示していないような事柄について、定説と伴にBUNさんの主張(自説や妄説)を聞いていただくという企画です。
 一応、「定説」とされているレベルの箇所には<定説>と明示し、BUNさんの独りよがりと思われるようなところには<自説>、さらに根拠が薄いなぁというようなところには<妄説>と明示して話を進めていきます。
 読者の皆さんも、<定説>部分は信じてもかまいませんが、<妄説>の箇所は盲信することなく、眉に唾を付けて読んで下さいね。
 さて、前回は「建っている間は廃棄物処理法を適用しない」ということを考えてみた訳ですが、その理論展開の際に「「排出時点」、「排出者」をすり替える」と論法が登場しました。今回は、この「排出時点」、「排出者」について考えてみたいと思います。

<定説>
 廃棄物処理法の条文には政省令も含んで「排出者」という文言は登場しません。「事業者」という文言は度々登場し、多くの場合は「事業者」=「排出者」と考えてもよいのですが、第3条、第4条の2等に登場する「事業者」は「生産者」「販売者」といった意味合いも含めて広い意味で使用しています。よって、条文上は「事業者」=「排出者」とは言い切れません。
 よく、理念的には「排出者責任」と言われていますが、「じゃ、誰が排出者なのか」という判断に迷う事案も出てきます。
 たとえば、「昔不法投棄された廃棄物が掘削工事を行ったら出てきてしまった」とか、「所有権はAにあったが、Bに貸している間に壊れてしまった」と言った事案です。
 前述の通り法令の条文で規定しているのは前回取り上げた建設系廃棄物、第21条の3第1項で「建設系廃棄物の事業者は元請業者である」旨規定しているだけですから、建設系以外の廃棄物の排出者については、「条文では規定していない」となります。
 そこで、某裁判の判決の趣旨を踏まえて「排出者とは一塊、一括の仕事を支配管理できる存在」とされています。
 この「某裁判」とは、平成の初め頃に、旧厚生省を相手に千葉県の建設業者である「フジコー」さんが起こした裁判なので、この業界では「フジコー裁判」として有名です。
 当時はまだ第21条の3が制定される前なのですが、運用通知により「建設系廃棄物の排出者は元請業者であるから、元請業者が自分で運搬する時は許可が不要(自社処理)であるが、下請が運搬する時は他者の廃棄物を運搬することになるので許可が必要」とするものでした。
 フジコーさんは、「いや、下請でも排出者となり、したがって自社処理となって、許可が不要となるケースもあるはずだ」として裁判を起こしたんですね。
 地裁では旧厚生省が勝ったのですが、高裁に控訴され、その裁判では旧厚生省が負けて、フジコーが勝ったんですね。その時の東京高裁の判決文が、「廃棄物の排出者は誰か」を一番言い表していると言われています。
 本当は、何回か前に紹介した「おから裁判」のように最高裁判決なら、「法律同等」と堂々と「定説」と言えるのかもしれませんが、この「フジコー裁判」は高裁判決で旧厚生省は控訴を断念したんです。なので、ここで結審。
 でも、これ以上の適当な根拠が無いものですから、これが一応「定説」となっています。
 なお、実際の判決文はもっと長いので、興味のある方は原文をお読み下さい。

<自説>
 と言うことで、一応、「排出者とは一塊、一括の仕事を支配管理できる存在」それが排出者である、となるのですが、正直言ってこれがよくわからない。
 とりあえず、原則的な分かり易い排出者から確認してみましょう。
 生産工場からの廃棄物であれば、そこからの廃棄物の排出者は、そもそもの生産者であり、事業所からの廃棄物であれば、その事業者が排出者である。(ことがほとんどである。)
 たとえば、りんごジュースを製造している工場から、りんごの絞り滓が廃棄物として出てくるとします。

「排出時点」、「排出者」がすり替わる その1画像1

この排出形態において、ほとんどの人は、「排出者はA食品工業」と認識します。
 出入りの原料供給者や製品の購入者だろうと思う人はまずいません。
 すなわち、物が廃棄物になるまでの「使用者」や「管理者」が、その物の価値がなくなった時点で廃棄物の排出者となり、一直線で結び付いています。
 私(長岡)は、たいていの場合「有価物時代の最後の占有者が廃棄物の排出者である。」ということではないかと考えています。
 ところが、そうとばかりとも限らない事例もあるんですね。
 ①所有者が倉庫に預けていた「物」が倉庫で腐敗して廃棄する。
 ②所有権は製造元にある「物」が、委託販売店で売れ残った。
 ③自分の管理地に風や波、水流により廃棄物が移動してきた。
 ④親会社、子会社同一製造ラインから混然一体となり廃棄物が発生する。
 こういったケースでは、誰が排出者なのかわかりにくいですね。
 ちなみに、何回も書いていますが、自分の廃棄物を扱うときは許可が要りませんが、他人の廃棄物を扱う時は処理業の許可が必要です。
 だから、「自分の廃棄物だろう」と思って運搬したところ、他人の廃棄物であったとなると「無許可」となる訳です。無許可は最高刑懲役5年です。

さて、今回のテーマに戻りますが、「排出時点」によって、「排出者」が変わってしまうという典型的な事例を紹介しましょう。(あくまでBUNさんの創作です)
 Aさんの所有物をBさんに貸した。Bさんが借りて使用しているときに壊れてしまい使い物にならなくなった。
 1.Bさんは壊れた状態でAさんに返却し、弁償金と廃棄にかかる経費を支払った。
 2.壊れた物を返却されても困るので、Bさんが直接廃棄することになった。

物理的現象としては、壊れた時点で廃棄物なんだろうと思います。しかし、元々の所有権がAさんにあったことから、「廃棄の決定権はAさんにある」として、Aさんのもとに返した後に廃棄するとなると、おそらく排出者はAさんとなるでしょうね。
 「一塊、一括の仕事を支配管理できる存在」ですから。
 一方、2.の状態であれば、壊れる直前まで使用していたのはBさんであり、その後、廃棄の業務を実際にコントロールするのはBさんです。この時は、おそらく排出者はBさんとなるでしょうね。
 このように「排出時点」はいつなのか、が変わってしまうと排出者も変わってしまいます。
 このように書くとなんか特殊な事例のように感じられるかもしれませんが、よくある話で、たとえばAさんの自家用車を整備に出したところ、ワイパーが古くなっているので交換することになった。古いワイパーを整備工場で廃棄するのか、それとも「これがお客さんが使用していたワイパーですよ。うちは整備するのが業務なので、古い部品はお返しします。」と言われて持ち帰ってきた。
 さて、誰が排出者なのでしょうか?改めて考えてみると、「古くなったので交換する」という時点で考えると、それまで使用していたのはAさんですし、その時点で廃棄するのであれば排出者はAさんでしょう。(DIYのお店で新しいワイパーを購入し、自分で交換すれば、明らかにAさんが排出者ですからね。)
 ところが、「交換しなければならない」とAさんは思っていたけれども、そのまま整備工場に持って行った。そして、「整備」という事業活動の一環として廃棄することとなった。この時点では排出者は整備工場でしょうね。そして、前述の通り「返却」された物を受け取った。この時点では排出者は再びAさんでしょうね。
 この例でも感覚的にご理解頂けると思うのですが、「廃棄物はいつ排出されたか」という「排出時点」が変わることにより、「排出者」も変わるってことなんです。
 そして、この例でAさんは一般国民、自動車はマイカーだとすればAさんが排出者となった時は「物」は一般廃棄物。整備工場が排出者となった時は「物」は産業廃棄物となってしまうんです。
 この「排出時点」の捉え方で「排出者」が変わる、の典型的なパターンが「建設系廃棄物」となる訳ですね。
 次回は、この「排出時点」、「排出者」についてさらに検討してみましょう。

第11回 「「排出時点」、「排出者」がすり替わる」その1のまとめ
<定説>
 「排出者とは一塊、一括の仕事を支配管理できる存在」(フジコー裁判判決文から)
<自説、妄説>
 現実には、「排出時点」がいつなのか、によって、排出者は変わってしまう。
 その事業全体を俯瞰して、どの時点で、誰が最も廃棄物を排出する行為を「支配管理できる存在」かを見極めることが必要。

(2020年3月)

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