BUN 環境課題研修事務所
長岡文明 氏
「初めて廃棄物処理に関係する」という方々を対象に「そもそも、なんで、こんなルールになっている?」という視点で廃棄物処理を眺めてみるという、おおらかな感じでお付き合いいただきたいコラム。
前回は「国民一人当たり産廃は4トンダンプ1台分、一廃は軽トラ1台分の量の廃棄物が排出されている」という話をしました。
皆さんも多少の量の違いはあっても、家庭でも職場でも廃棄物を出してますよね?
えっ、「私は出していない」って?そんな人は居ませんよね。生きていく限りは必ず出してしまう「うんち」「おしっこ」「食べ残し」こういった「物」も廃棄物なんです。だから、「廃棄物を出していません」っていう人はいません。(そもそも、「廃棄物」ってなんですかって話の詳細はまだ先です(^o^))
じゃ、その自分が出している廃棄物を全部自分で処理している人ってどのくらい居ますか?
半世紀前の田舎なら何人かはいらしたかもしれませんねぇ。食べ残しが出たら畑に持って行って肥やし代わりに使う。紙くずが出たら裏庭で火を付けて燃やしてしまう。いわゆる「ごみ焚き」ですね。でも今や、穴を掘って埋めたら不法投棄で捕まる。火を付けて燃やしたら野焼きで捕まる。今の日本では、「全部自分で処理している」って人はほとんどいないと思います。
じゃ、「あなたが出す廃棄物、誰が処理しているの?」と聞くと「そりゃ、専門業者に頼んでいるよ」というお答え。じゃ、「その専門業者って誰ですか?」。それが廃棄物処理業の許可業者なんですね。
では、「そもそも、許可ってなんですか?」
法律を勉強した方は授業でお聞きになったことがある人もいらっしゃるかもしれません。かく言う私は学校での専門は化学でしたので、法律は素人。社会に出てから研修の時に大学の法学部の教授がいらして、「許可とは禁止行為の解除である」とお話しなさいました。なんのことやら、チンプンカンプンで一日が過ぎ去ったことしか記憶に無いのですが、長年廃棄物処理法と付き合ってきた結果、「許可とは禁止行為の解除である」とは次のようなことかなぁ、と素人なりに思っています。
人間は自由なんです。生まれながらにして何でもできる。「基本的人権」とか「表現の自由」とかめんどくさいことは知らなくても、気に入らない奴がいたらぶん殴ることはできる。できるでしょ、自由なんですから。他人がいい物を持っていたら奪うこともできる。できるでしょ、自由なんですから。
でも、ここで気がつくんですね。人をぶん殴る自由があるなら、いつ自分がぶん殴られるかわからない。他人の物を奪う自由があるなら、いつ自分の物が奪われるかわからない。
他人の「自由」というものは、自分にとっては「不自由」だってことに気がつく。
そこで、本来なら、生まれながらに誰でもできる行為なんだけど、一旦禁止するんですね。その上で、一定の要件、一定の条件にあった人についてだけ「禁止を解除」する。これが「許可」。
身近な「許可」の例として、飲食店や旅館があります。
食事を作って食べさせることは大抵の人はできる。人を泊めさせてやることも大抵の人はできる。
皆さんもできますよね。今晩、鶴瓶さんが突然やってきて、「一晩泊めてくれまへんか」と言ったら「どうぞ、どうぞ一晩位なら泊まってってください」とお泊めすることは出来るでしょ。火野正平が自転車引っ張ってやってきて「腹減ったなぁ」と言ったら握り飯の一つでも作って食わせることは出来るでしょ。
でも、何の知識も無い人が、ろくな施設も無いところ、それを繰り返したら、食中毒が起きたり感染症が蔓延してしまう。そこで、本来なら誰でもできる行為なんだけど、一旦禁止する。
やたらに食事提供しちゃダメだよ。やたらに人を泊めちゃダメだよ、と禁止する。
その上で「あなたのところは客室が10室以上あるね。厨房には消毒された水道水が引かれているね。経営者は保健所の講習会受講していて知識もってるね。じゃ、あんただけやっていいよ」と禁止行為を解除している。これが食品衛生法の飲食店の許可や旅館業法の旅館の許可。
じゃ、どうして廃棄物の処理って「許可」なんだろうか?
ごみを運ぶことなんて誰でもできるじゃないか?と思われるかもしれません。
でも、改めて考えてみると、廃棄物という物は、物によっては毒性があったり、物によっては悪臭がきつかったり、少なくともその人にとっては不要な物。
もし、本当に大切なものであるならみんな金庫に保管しますから、けして不法投棄なんかは起きないはずです。このように廃棄物は本来的にマイナスの要因を潜在的に持っている「物」なんですね。
そのため、廃棄物の処理は誰がやってもいいよ、とはしていない。一定の施設、一定の知識を持っている人物だけが「あなただけやっていいよ」という制度なんですね。
だから、廃棄物の処理は「許可」制度にしているんですね。
産業廃棄物の収集運搬業の許可を取るときに「トラック1台もありません。」「じゃ、どうするの?」「風呂敷に包んで運びます。」こんな人物には収集運搬業の許可は出ない訳です。
「廃棄物の焼却を商売にしたいんだけど。」「ちゃんとした焼却炉無いじゃないですか。」「野焼きしますから不要です」こんな人物には焼却処分業の許可は出ない訳です。
適正に運搬できる車両、環境被害を出さずに焼却できる焼却炉、そしてそれを適格に運転できる知識や人材、それがそろって初めて「許可」が出る。
ときおり、許可を持っていないのに不用品を回収している人物がいます。不用品を出す方としても「要らない物を取りに来てくれる。クリーンセンターまで運ぶ必要も無くて助かった。ウインウインの関係なんだから許可なんか無くてもいいんじゃないの?」と言う人が居ます。
本当にそうでしょうか?
彼らが集めている「物」が真に「有価物」であり、「廃棄物」ではないのなら、問題になることは少ないでしょう。しかし、それが「廃棄物」であった場合、集めた「物」はその後どのようなルートを辿ると思いますか。
ちゃんとした施設・機材を持ち、ちゃんとした知識を持っているのなら、許可を取れるはずです。許可を取っていないということは、なにかしら抜け落ちているところがあるのでしょう。そのような人物がちゃんとした処理が出来るはずがありません。
事案よっては金になる金属部分だけを抜き取って、抜け殻となったプラスチック類などは不法に投棄していったり、「200円で買い取りますよ」などと言っておきながら、トラックに積んだ後に「物は200円で買い取るけど、二階から下ろしてトラックに積んだ人足賃、7万円だ。差額の69,800円払え」とかいうケースも出てくることになるんですね。
だから「許可」制度というのは、社会や個々人を保護するためのものでもあるんですね。
廃棄物の処理は許可制度です。
読者の皆さんは、間違っても廃棄物を無許可業者に委託するなんてことのないようにね。
<参考記事>
出典:2014年10月13日 循環経済新聞
出典:2019年11月25日 循環経済新聞
(2024年09月)