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廃棄物の歴史

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BUN 環境課題研修事務所
長岡文明 氏

 「初めて廃棄物処理に関係する」という方々を対象に「そもそも、なんで、こんなルールになっている?」という視点で廃棄物処理を眺めてみるという、おおらかな感じでお付き合いいただきたいコラムです。
 1回目には「廃棄物処理の概要」、2回目は「許可」、3回目は「処理と業」の話をさせていただきました。
 いよいよ、「そもそも廃棄物とは」に入りたいと思います。
 皆さんは「廃棄物」ってなんだと思いますか?人から聞かれたときはどのように説明しますか?
 「要らない物」、「有害な物」、「邪魔な物」いずれも該当しているようでもあり、それだけでも無いような気もしたり・・・。正解なんです。と言うのも、「有価物か廃棄物かは一つの要素だけでは決められない」というのが「定説」なんです。では、どうしてこれが「定説」と言えるかといいますと、「物が有価物か廃棄物か」で裁判も何回か行われていまして、廃棄物処理業界で一番有名な裁判は「おから裁判」で、最高裁まで争われました。最高裁の判決ですから、これはもう「定説」と呼んでもいいでしょう。
 この「おから裁判」ですが、豆腐屋さんから出てくる「おから」が廃棄物なのか、有価物なのかで争われた裁判です。
 結論のみ述べますと「物が有価物か廃棄物かは総合的に判断する」という、いわゆる「総合判断説」です。
 その判断要素になるのは「物の性状」「排出の状況」「通常の取扱い形態」「取引価値の有無」「占有者の意志」という5つの要素と言っています。
 この「物が有価物か廃棄物か」は、廃棄物処理法上とても大きな事で、たとえば、悪徳業者に「あなた、無許可だろう」と言うと、「いやいや、私が扱っているのは有価物。廃棄物じゃ無いから許可は不要でしょ」と抗弁する。「あなた、不法投棄をやっていますね」と言うと、「いやいや、これは私にとってお宝なんですよ。だからいくら山積みにしていても不法投棄じゃないですよね。」と言い訳する。
 そこで、環境省は行政担当者向けに「行政処分指針」という、悪徳業者の許可をいかにして取り消すかという指針を出しているのですが、その指針の最初に記載しているのが、「物が有価物か廃棄物か」を解説した「廃棄物該当性」という章なんです。
 この指針をちょっとだけ引用すれば、5つの要素については次の括弧書きの要因で判断する旨解説しています。
 ①物の性状(環境保全,客観基準,品質管理)
 ②排出の状況(需要,計画,管理)
 ③通常の取扱い形態(市場の形成)
 ④取引価値の有無(有償譲渡,経済合理性)
 ⑤占有者の意思(社会通念上の認定)  等
 「おから裁判」は有名なので、ネットで検索すると直ぐに出てきますし、いろんな本でも取り上げていますので、詳細を知りたい方は是非一度ご覧下さい。

 実は廃棄物処理法の条文でも「廃棄物とは」と第2条で次のように定義しているんです。
 (定義)
 第二条 この法律において「廃棄物」とは、ごみ、粗大ごみ、燃え殻、汚泥、ふん尿、廃油、廃酸、廃アルカリ、動物の死体その他の汚物又は不要物であつて、固形状又は液状のもの(放射性物質及びこれによつて汚染された物を除く。)をいう。

 「法律で定義もし、最高裁の判決も出ているのに、どうして今でももめるのか」って、思いませんか。

 個人的には、不確定要素はなんといっても「汚物又は不要物」というところかと思います。
 「汚い」かどうかは個人の感覚に差があると思いますし、汚い物でも価値のある「物」もあるでしょう。「不要」は、もっと差がある感じがします。
 私にとっては大切な元カノからのラブレターとか子供の時のアルバムとか、皆さん、欲しいですか?まぁ、大抵の人は要らないでしょうね。
 ちょっと、真面目に廃棄物処理法がらみの例を挙げれば、木くずを燃料として使用できるボイラーを持っている人にとっては木くずは有価物かもしれませんが、木くずボイラーを持っていない人にとっては木くずなんて要りませんよね。
 このように判断が、判断する人によって変わってしまう。
 そのため、裁判にもなったんですね。
 でも、なぜ、もっとも基本となるべき「廃棄物」という要素に、このような混乱が生じるのでしょうか。
 それは「廃棄物」という概念が、日本人には無かった、乏しかったからではないかと私は推察しています。
 図(画像)は、私の子供時代に父が買った百科事典です。
 昭和41年初版の事典なのですが、「排気」は掲載されていますが「廃棄」や「廃棄物」は掲載されていません。現代の辞書は小さなものでも「産業廃棄物」までたいていは掲載されています。もっとも、「産業廃棄物」という文言は廃棄物処理法で創作されたものらしいので、昭和41年の事典に掲載されていないのは当然なのですが。
 ときおり、環境知識人を名乗る方の中に「江戸時代は究極の循環型社会であった。江戸時代に帰れ。」と主張なさる方がいらっしゃるようですが、改めて考えてみましょう。
 江戸時代にはまずプラスチックがありません。さらに飢饉が来れば餓死する人も多数いました。このような状況で「不要な物」ってどんな物がどの程度思い浮かびますか?食べ残しが大量に出ますか?衣服を捨てますか?こう考えていくと「捨てる」物って、茶碗の欠片とか貝殻とかしか無いんですよね。
 毒物のトリカブトとかフグの肝などさえ、それなりの用途に活用していたようですし。
 こんな状況が江戸時代以前の室町、鎌倉・・・原始時代から、つい最近、第二次世界大戦の後、昭和20年代までずっと続いていた訳です。世界では現代でもこの状況が続いているところも少なくありません。
 日本で「物」が余るようになったのは、昭和30年代(1955年)以降でしょう。そのため、「物」が「不要」「不用」という概念、感覚が世代によって、育った環境によって、親御さんのしつけ方によって相当違っていると私は思っています。
 「有害」か「無害」かは、これは科学的な数値で表すことも可能でしょうから、比較的分かり易い。しかし、人体に有害であっても売り買いされている「物」はたくさんあります。
 農薬なんかそうですよね。だから、「有害」という一つの要素だけで「物が有価物か廃棄物か」決定することはできませんね。
 国際的なルールである「バーゼル条約」という名称をお耳になった方も多いと思います。バーゼル条約の対象にしているのは「廃棄物」ではないんですね。日本の廃棄物処理法の「廃棄物」とバーゼル条約の規制対象物は違っているんです。
 これは前述の通り、「廃棄物」という概念が、他のそれぞれの国の人達が思い浮かべているものとは違っていて、統一的なルールが作れないからだと思います。
 そんな訳で「そもそも廃棄物とは」自体、とても難しい要因もあるのです。

廃棄物の歴史1

出典:世界原色百科事典7

廃棄物の歴史2

出典:世界原色百科事典7

(2024年11月)

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